「声を観る」無事に終了しました!

 

4月28日中目黒にて「声を観る」ワークショップ無事に終了しました

世の中がなんでも誰でもにわかりやすく、見える化する方向に行ってる中
「声を観る」という非常に曖昧な見えない世界のことを1日やってみる
そんなことに興味を持った方たちがゴールデンウィークの前半の週末に中目黒に集まりました

朗読という行為に上手下手を基準にしないで声の味わいを感じる時間
それは紛れもなくその人自身を味わう時間でもありました

最初の芥川龍之介「蜘蛛の糸」の朗読で思ったことをそれぞれ言いあう時間

同じ声を聴いているのに、そこから感じることは本当に様々でした
わたしも朗読してみなさんにあれこれ言ってもらいました
読む前に全員の耳がこちらに向いてるのがわかって
なんかもう、緊張したー!
もう何百回も朗読教室でやってきた「蜘蛛の糸」の冒頭部分
なのに久しぶりに自分の声から立ち上がってくる蜘蛛の糸の世界に自分でびっくりして
あわててそのイメージを振り払ったら
あとで「なんか所々投げやりだった」という感想をもらい、おもしろかった

宮沢賢治の「春と修羅」は二人が即興で朗読する
相手に影響を受けながら最後まで読みきる

わかりやすく影響受ける人、影響を受けないようにと影響を受けている人、直接関わりに行く人、ある一定の教理を取る人などなど
ああ、これは自分の人とのコミュニケーションの取り方の一つが出てしまうのだな〜

いいも悪いもない
そんな自分の質を知るところからスタートするしかないのだ
!
関わり方に一般的な正解は、ない。

最後はアイルランドの昔話を朗読劇に
同じ作品を3グループがそれぞれ15分くらいで作品にする

昔話なので淡々と表現されるものから何を主題に立ち上げていくか、それをどうみせるか、
「他者になって読む」という行為が自分に何をもたらすか
そんなことを体験してもらう

参加者の一人であるウェンディが後日こんな感想をくれました


「4/13に64才になり、定年まで後1年のカウントダウン⤵

その後どうしようかな〜となかなくポジティブに考えられなくて⤵⤵だったのです。

自分の声に向かい合って、自分を受け入れられた気がします。

感情の幅は、大きい方がいいのかな?と勝手に思っていたのです。

でも、しっかり芯があって、抑揚の幅は小さいけれど、気持ちは相手にしっかり伝わっていると評され、

がんばる必要はないんだと、気持ちが楽になりました。

日々学び、日々成長ですね」

ありがたい感想です

このワークショップで私が意図したものは、自分の質を知る
その一点のみです
そこから何の答えを見出すかは一人一人違う
自分の声、嫌いという人は多い
嫌いというからには、好きな声があり、そうでありたいという願いがあるようです

声を出す、人の声を受け取る、人に影響を受けながら表現する
その繰り返しの中で浮き彫りになる他者との違い
それをとことんまで思い知るということ、受け入れるということ
関西風にいうと、焼くまでなおらん、というものを自覚するところから

な〜んてことを
あまりにディープにやりすぎて
終わった後に、私がショートしてしまった


ご飯も食べれず横になってとにかく眠る
平成最後のデトックスだった


あとから

お花を飾って植物のエネルギーにも助けてもらいました

おもしろかった
!


どうやら自分の関心は、一定の時間、

空間をともにした人が意識的にも無意識的にも互いの気をめぐらせあえた時に
起こること
それはある程度時間がかかる
そんな効率の悪いことをこれからも大切にしたい

花はその後も時間ごとにぐんぐんと開いてくれて
穏やかな気の交流ができました

JUGEMテーマ:朗読・リーディング

 

 


Koe ・声・こえ を みる 観る・Miru

Koe・こえを みる・観るMiru

 

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身体を動かすこと
声を出すこと
テキストを読むこと

 


を繰り返しながら
あなたの声をみていきます

声に焦点を当てて探る1日のワークショップです


428日(日)@中目黒駅周辺
7000
定員10名

お申し込み
haraiso887@gmail.com
にてお名前、ご連絡先(お電話番号)、参加動機をお書きの上お申し込みくださいませ

 


イギリス旅行

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イギリスに2週間ほど行ってきました

初めての国なのでゆっくりゆっくり噛みしめるように歩きました
世紀をわたる遺跡や建物
そこで暮らす人々に少し触れながら旅をしました

 

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ロンドン、バース、ソウルズベリー、ボーンマス、そしてロンドンへ

それぞれの場所で思わず立ち止まってしまうような場所に巡りあえたりして
本当に楽しい日々でした
ストーンヘンジにも行きました
何十年もの間、ずっと行きたかった場所でした
風が強くて雨も時々降ってきましたがついた途端に虹が出ました
ソウルズベリー大聖堂でもゆっくりしました
ジェラシックコーストという地層がむき出しで
化石もたくさん出てくる場所にも行きました
最後はロンドンの大英博物館へ
そこでエジプトのコーナーで釘付けになり
何時間も見て回りました

 

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建物であれ、彫刻であれ

人の想いの入ったものには魂が宿りますね
言葉や文化が違っても
エネルギーを感じることができるんだなと
実感できる日々でもありました
帰ってきてから即、お味噌汁を作ってゴクゴク飲みました!
豆腐も食べました
イギリスのご飯は案外美味しくて
いろんなものを楽しくいただきましたが
日本食がやっぱり落ち着きます!
よいリフレッシュができました!

「野性と朗読」発表会

JUGEMテーマ:朗読・リーディング

 

 

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野性と朗読  
   〜とり戻す声と表現、体験から上演まで〜

15時スタート(14時半開場・上演予定時間1時間)
入場無料


「声で自分の野性を取り戻す 
あなたの中に眠っているものをあなたの声で取り戻す
作品の音読を繰り返すことで自分の枠を突きぬけていく
ゴールを決めずに、やがて自分の確信へと近づいてゆく」

 

このことをキーワードに昨年9月から月に一度開かれていた
ワークショップ最後のひと時を公開します

 

シンプルであること
時代を超えること
を枠にして3つの作品を上演します

 

 

・曽根崎心中 道行きの段 (群読)

 

・なら梨とり 岩手の再話と文学作品 (読み語り)

 

・田辺聖子の今昔物語   (朗読劇)

 

 

限られた場所なので観客は先着5名様まで
事前にお申込みください
終わってから17時まで演者と交流会を行います。
よかったらそちらもどうぞ。
感想を伺えると嬉しいです


【お申し込み】 
メールにてお名前、ご連絡先、お書き添えの上 haraiso887【@】gmail.com 岩橋まで(@の【】をはずしてください)

 

【場所】
 株式会社プレイバック・シアター研究所 中目黒サロン&オフィス
 [目黒区青葉台1-6-53 青葉台マンションA-2F]

 


18’応用ドラマ教育論履修者の最終レポートより

2018年度に応用ドラマ教育論を選択した学生が15回の授業を受けたのち最終レポートを出してくれました

 

応用ドラマの可能性について

「教育」という言葉を自分なりに再定義して論じてください

 

という課題に対して出されたレポートは本当にそれぞれで

教育についての定義も
応用ドラマの可能性も
どれ一つ取っても同じものはありませんでした
その中の数人のほんの一部を許可をもらって抜粋させてもらいました
ありがとう!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

「今回「ドラマ教育」を学んで、今まで所謂「主体的・対話的で深い学び」と呼ばれ、

教わってきたものは、文字通り「対話」で終止していることに気づかされた。

「対話」以上の活動を行うことによって、授業者(教師)は生徒により実感をもって

授業内容を理解させることができると考える。

今後は、実際の授業としての形にならずとも「ドラマ教育」を取り入れた授業形態を考えていけたら、

学校授業の可能性が広がるのではないかと思う」Hさん

 

 

「私の考える応用ドラマ教育の一番の可能性は、

それまでほとんどといっていいほど無視されてきた、感情や感覚を重要視する点である。

これまで、内面、心情に関して学校教育では「特別の教科道徳」で取り扱われてきた 。

道徳では読み物が提示され、著者や登場人物の心情について問われるというスタンスが一般的である。

しかし、「どう思うか」あるいは「あなたならどうするか」という問いかけはあっても、

それは頭の中で想像することをお互いに共有しあうに過ぎなかった。

また、身近な事例が取り上げられる訳でもなく、見ず知らずの登場人物や作者の心情を

ただ読むという作業だけを通して考えさせられるのである。

文章から心情を読み取ろうとするのであれば国語の時間に行えば十分な作業である。

その点ドラマを取り入れて授業を行えば、見ず知らずの登場人物になりきることができるし、

身近な事例を再現することによって、より鮮明な感覚を得ることができるのである。

心情や感性、価値観などでの学びが求められる場面こそ、

それを敏感に感じることができるドラマの導入が非常に有効であると考えられる。

また、言語活動の重要性が叫ばれる昨今 、英語の授業における会話の練習などでも、

ドラマ形式の授業は有効である。なぜなら、言語は実際に使用する場面を想定して、

ノンバーバールな要素を含めた上で練習をしたほうがより良い定着が見込まれるからである。

このように、応用ドラマ教育は視覚聴覚などあらゆる感覚器官をフル活用し、

さらに身振りや表情、話のトーンなどあらゆる情報を媒介にして生徒の学びを深めようとしている点で

非常に重要な試みである。」Yさん

 

 

「他の授業と大きく異なることは、授業を終えてから気付くことや学ぶことがとても多かったということである。

レポートの課題をやっている時は特に授業を振り返る機会だったが、

授業の後に残るモヤモヤ感というものがとても印象的であった。

これは、授業の主体が教師ではなく、生徒の側であるということが理由なのではないかと考える。

主体的だからこそ、よく考えるし、モヤモヤも残るのだと思う。

従属的な場合にも、モヤモヤというものが残るかもしれない。

このモヤモヤというものは、自分で考えていないため、「ただわからないだけ」という状態のように感じる。

しかし、主体的な場合のモヤモヤには、従属的な場合とは一段階レベルの違う「わからない」があるのだと思う。

「ただわからないだけ」なのではなく、主体的であるためにわかろうという前向きな姿勢が感じられるのだ。

このモヤモヤ感をすごく大事にできた授業が応用ドラマであった。とても新鮮だった。

この新鮮さというものも、応用ドラマの可能性なのではないのだろうか。」Tさん

 

 

「しかし、道徳科や各教科における思考力や表現力を問う時、

教員に求められるのは児童生徒の表現を引き出すためのファシリテートを行う能力である。

応用ドラマの可能性とも重なるが、本授業で重要になったアウトプットする、

表現することと、それを受けてファシリテーターがどう反応するか、応答するかという部分は、

教員のファシリテートする部分と重なる。

なぜなら私たちは多くの場面で、他者と影響し合いながらアウトプットしているためである。

これは、学校教育現場にとどまらず、“場を司る”必要に迫られる場面は多々あるのではないかと考えられる。

教壇に立つのはもちろんのことプレゼンテーションや商談、プライベートな場面においても、

子育てや家族との大切な会議の時といった場面では、自分に対して注目してもらうこと、

わかりやすく見通しを伝えること、なにが狙いなのかを明確にすること、

あるいは言葉にしなくとも「隠れたカリキュラム」のように、意図を

アクションや声の大きさなどで意思表示することが

“場を司る”ことは必要になる場面では重要になってくるのではないだろうか。

声の掛け方やアクションの大きさ、声の大きさやまた、自分がどういった背格好で、

表情で、あるいは相手とどのような位置関係にいるかということに意識的になることで、

状況をより客観的に見ることにつながるとも考えられる。

応用ドラマの可能性は、相手とより心地よく過ごすためのヒントが多く隠されていたように感じる。

もちろんテクニックの部分や、経験として得た実感や多くの反省点は、

教員を目指すにあたって貴重な経験となった。

しかし、それ以上に、今、自分と、他者との関係性を円滑に保っていくため、

ひいては誰もが生きやすい社会を作っていくための、小さな鍵のように感じられたのである。」Aさん

 

 

「教育には、学ぶというワードが重要になってくると考える。

教えられるというのは、知識を与えてもらうという感覚であるが、

学ぶというのは、自ら体験して実践できるようになるというようなことではないかという違いがあると考える。

そのことを踏まえて、教育とは、一方的に教えられることで知識を蓄えていくことではなく、

体験し、感じることで何かに活かすことができるようになることを指していると考える。

私自身も応用ドラマ論を受講して初めて、このように様々なことを感じられることから、

学んでいると実感できたため、このような授業が今までにも必要だったと感じた。

大学ではなく、もう少し早くからやっておきたい授業だと思った。」Mさん

 

 

「ドラマ教育を受けて私は他人の価値観の多様性を知るとともに自らの価値観を再発見できた。

これは価値観を押し付けられる従来の教育ではなく、

自らの価値観を発信することを求めるドラマ教育であるがゆえに獲得できた産物である。

また、ドラマ論に触れることで私の教育観は「教える、教えられる」立場から、

生徒が主体的に学ぶことを優先に教師はその学びを手助けする「学び、支える」立場へと変化していった。

このようにドラマ教育は、新たな自分を発見することにもつながる。

そこで私はドラマ教育の可能性として、キャリア教育としてのドラマ教育を推奨する。

キャリア教育とは、一般的に「児童生徒一人一人のキャリア発達を支援し、

それぞれにふさわしいキャリア形成していくために必要な意欲・態度や能力を育てる教育」と考えられており、

「生きる力」の育成を基本方針として行っている。

この「生きる力」の育成にドラマ教育を用いることが出来るのではないか。

「生きる力」とは人によって様々な考えがあると思うが、

私が考える「生きる力」とは、自分の人生を自分で決めていく力である。

その力を獲得するためには、自分がどのような人間なのかを知る必要があり、

自分自身に向き合わなければならない。

そして自らを知ったうえで自らの最善であると考える道を選択することが「生きる力」ではないか。

今まで行ってきた職場体験学習などのキャリア教育ではなく、

自らを知り、自らと向き合う一環としてドラマ教育を用いるべきであると主張を行い本論の結びとする。」Kさん

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

教育関係者からしたら当たり前のことが書かれているかもしれませんが
彼らの言葉の中から発見や驚きがキラキラしてみえて
私は読んでいて本当に楽しかったです!

 


「表現・朗読に関する言葉」

表現・朗読に関して書いた自分の文章をまとめてみた

なんかさ、自分の出した雰囲気に酔ってるところもあるけど
自分の言葉にはっとしたりしみじみしたりしてます

ここからこの数年間自分が表現や朗読で大切にしてきたことを抽出して
わたしは何をしてるのかわたし自身が読み解きたいから

ながいよ

 

 

「ここで何をするのか
私は何がしたいのか
少し考えてみました
*その声はどこから来るのか?
身体と密接なつながりのある声、身体を振動させて、その人にしかない声を聴いてみたい
いつも思っているのはそこです
なのでまず声を聞かせていただいてアプローチ考えます
*文章のリズム、テンポ、声の大きさ、間を考える
これは読み手と文章によるのでなんとも言えないのですが
あまり文章の意味を考えずに何度も何度も声に出す場合と
じっくりと黙読した上で声に出したほうがいい場合があると思っています
それはその人の質かもしれないし、その文章が持っている質かもしれません
*自分の思っている世界を探求する・壊す
ご自身の持つ世界をしっかりと体現してもらいたいと同時にそれをしっかりと壊せる勇気があるか
少し怖いことかもしれないのですが
しっかりとした文章があれば、それを目印にいくらでも冒険できる
そんな風に思っています」

 

「やりたいのは文字を身体に通すことによって
声帯を使って周りに振動させることによって
自分の行ったことのないところへといつのまにかきている
そんな瞬間があればいいなと思っています

経験、未経験は問いません
そんなことに興味のある方と
そんな時間が持ちたいなと思います」

 

「作者や登場人物の気持ちを想像する前に
まずは、立ち位置、呼吸、声の大きさ、スピードなどを変化させること
そこから起こる心情の変化を朗読に反映させていきます
何が起こるかわからない「ためす朗読」
やってみる、ふりかえってみる
やってみる、ふりかえってみる
の繰り返しの後に、見えてくるものはそれぞれの経験値でしかありません
その繰り返しを反復することが
その人自身の直感力、美的感覚を養うことになるであろう
と信じています」

 

「当たり前ですが、自分の声は一生聴けません。それでも我々は人に向かって懸命に発信し続けます。
表現は、表情、動作など様々な要素で成り立ちますが、
ここでは、「自分の声を出すこと」一点に絞ってみたいと思います。
人は生活の中でその時の状況、心情に応じて様々な声を出します。
隠しごとがあれば隠しているという声を出しますし、
嬉しければ嬉しいという声が出ます。
声は表現の中で一番正直だな、というのが今の所の私の感想です。
朗読で声を聴いていると、声が噓っぽく聞こえる時があります。
どんなに上手に読めていても、です。
反対にどんな突拍子も無い話をしていても、
その声にリアルを感じれば信じます。
リアルな声とは、こうしようというその人の意図を挟めない声です。
身体と深く繋がったそのままの声が出てくると、
聴いてしまった我々はその声が
どんな細く小さな声であっても、
どんなにしどろもどろになっても
読みの上手下手に関係なく魅了されます。
今回は、身体と繋がろうとする「自分の声」をたよりに、素材をその都度変えてやってみます。
自分の声をたよりにとぼとぼと歩いていくような時間を作りたいです。」

 

「「そんな記憶が今も自分を支配しているなら、今、声を出そう、今、やれなかったことをやってみよう。
その瞬間に初めて本当の自分を自らで取り戻せるのではないだろうか。
それには人の力が必要だ。
アートの場の力で他者の手のぬくもりや感覚を借りてみよう、信じてみよう。
そして同じく他者にも自分の力を貸してみよう。詳しく事情を知らない他者だからこそ言えることできることがあるはずだ。」

 

「自分から出したことばは自分が紡ぎ出したものが全てではない
何処かの誰かが言ったことばや社会的に暗に容認されていることばには
不用意な力を持つことがあるし
一方自分から湧いてきたことばはまことに心もとない時が多々ある
だから力が出ることばをもっと出したいと感じたり
あやふやなことばをやめたいと思ったりする
そんなことはどうでもよくて
今浮かぶことばに身を任せたいと思うことがある
できればみじかな人にもそうであって欲しいなと思う
そんな時間を持ちたいなと思う
そんな時間を過ごした声は
はじめよりもいくぶんおだやかになる
ピンとはったような声が少し沈むような声になる」

 

「声で自分の野性を取り戻す 
あなたの中に眠っているものをあなたの声で取り戻す
作品の音読を繰り返すことで自分の枠を突きぬけていく
ゴールを決めずに、やがて自分の確信へと近づいてゆく」

 

「声を出すこと
感情を入れずにただ読むこと
感情を汲み取って読むこと
役割を外した声を意識すること
そんなことが今のところのキーワードです」

 

「ここで目指すものは演技ではありません。
どれだけその人の声に出逢ってもらえるか、その1点だけに絞ってこの日を迎えました。
どうかこの声を一生懸命聴こうとしないでください。
半分ぼんやりと、なんなら眠って聴いてください。
たぶん言葉の意味はあまりありません。
意味を探そうとせずにしていると、自分の拾いたい音だけが入ってきます。
たぶん、それでいいのだと思います。
そしてそれは一瞬で終わってしまいます。
そんな一瞬のような時をみなさんと過ごしたい、そんな時間になったらいいなと思っています。」

 

「ここ数年は朗読や声についての仕事がたくさん増えてきました。
よく朗読の何を聴いているのですか、どんなふうに聴いたらいいですか、
と聞かれるのですが、それについてはうまく答えられずにいます。
あえて言うなら何を、とあまり意識せずにぼんやりとして聴く、
としか答えられないのです。
そうするとその人となりがぼうっと浮かび上がってきます。
その浮かび上がって見えたもの、感じたものを少し丁寧に拾い上げていくと、
「その人の声を聴く場」が徐々に形成されていきます。
すると自然に身体や声や意識が変化し始めていきます。
この変化は老若男女どんな現場でも起こります。
それは声を聴いている場がそういった変化を起こさせているのだと思います。
今回ABE研究会でやりたいことは、これをしたからこれが得られるといった効果ではなく、
創造的直感のような状態になること自体を体験することです。
そしてそこから得られるものは人それぞれであることをちゃんと保証すること、
とまるで偶然にように集まった当日の参加者の方達とその日だけの特別な縁をつくること、です。
そのことで、日常の世界では沈黙をしているまだうまく言葉にできないもの、
目には見えないもが存在する境界に恐る恐る近づいていくことができるのではないだろうか、
と思っています。
その状態を「アート」と仮定してみます。
そうしたら、目に見えるものだけを信じてしくみをつくった今の社会におけるアート(行為的直感力)の役割が見えてこないかな、そうなればいいな、そんな仮説もしています。
この日も自分のすぐ近くの身の回りに起こっていることや一見なんの関係もない社会の出来事を
身体や声を通して行います。そしてそこから出てきたものを
みなさんとそれぞれ持ち寄って眺める場を作ります。
表現教育の中でLearning by doing とLearning by being の学びの違いについて学んだことを
最近よく思い出します。
直訳すると前者は(なにをしたか)することによる学びと
後者は(そうである)存在することによる学びと言えるでしょうか。
場においてdoingでは何をするか、したかという言語化ができるのですが、
beingは何を指すのか私にはいまだによくわかっていないところがあります。
ただ、今思うのはファシリテーターとして前に立つ私の存在がどう在ったか、
が与える影響は場において無視できません。
自分が意識しない分、より多くのものを参加者は受け取るのだと思います。
感性や直観力を育てるとはこのdoingとbeingの積み重なりではないでしょうか。」

 

「やることは実験的に精力的にいきます!!!
朗読、という一見決められたテキストをどう即興的にいくか
それには動き、リズム、自分と他者の間をゆらしていくことからだと考えています
発信と受信のバランスを変えてしまうこと
意味朗読ではなく直感朗読にすること
そんなことをやります」

 

「自分を生きるってなんだろう?
だれしもが人が交わる社会の中で生きている
あるときは自分を黙らせたり
あるときは戦ってみたり
そうして自分を生かそうとしている
でも、どうやっても、そうでしかない自分がある
筆跡が変えられないように
声が変えられないように
もちろん字を綺麗に書くことはできる
声も上手に出すことはできるかもしれない
でも、どんなに上手に取り繕っても滲み出てしまうものがある
アートはそれがあきらかになる
なってしまうのだ
アートの現場はでは人はみなそれぞれである、ということがまず大前提だ
一緒でなくてもよいのです
そしてそれぞれであるということは、自分一人ではわからない
それぞれの色を持った人が集まるからこそそれぞれだということがわかるのだ
自分を生きる
とは、たぶん人と交わることでしか見ることができない
そうでしかあれない自分を引き受けることなのだろうな、と思う
そしてそれはゆっくりでいいんだ
急ぐ必要はない
今自分の置かれた環境でうっすら見えてくるものに
目を凝らし
耳を澄ます
ただそれだけなのだろうと思う
だけどね、それを楽しくやれるところがあるの
いいとししたおとながプレイフルに、むきになって、大笑いする場所そのひとつがここです」

 

「声って本当に正直だなと思う
表現の中で声って嘘をつけない
技術的によくすることはできるけど
人が嗅ぎ分けるものはそこにはない
ちょっとした声のほころびや溢れ出たもの
そんなもので無意識に判断している
朗読という人の文章でそれをあきらかにしようとする試みなんです
だから上手下手はあまり関係ありません
その声を出す自分
そうでしか出せない声を出す
声で足元をみつめる
そんな時間です」

 

「言葉は感染る
反対になるべく削ぎ落としたものを書きたいのだな、とかも感じる
言葉は映る
言葉には伝播性や感染性があるので当然だと思う
朗読は声で言葉をうつす
瞬間的にその言葉の体にさせる
うつすような朗読の時間です」

 

「わたしの時間では表現活動をよく呼吸にたとえます
呼吸は、はく→すう→はく→すう をくり返します
吐くことが表に表すことだとすれば、
吐くための息を吸うことも必要です。
すうとは、自分の受信力です。
五感を少し開いて、耳を澄ましたり目をこらしたりしていると
普段は気に留めないものを拾っていきます
こんな音が聴こえてたんだ
こんなものあったのか
そんな受信力を少し広げて
自分の中に流れ込んでくる周囲の情報の量や層を変えてみたりする
それだけで表に出てくるものはもう変化を起こし始めます
そんな小さくて大きなところからはじめます」

 

 


「呼吸する朗読」チーム再始動!

昨年京都で活動していた「呼吸する朗読」チームが再始動しました!

以下に主催のこいちゃんからのメッセージです
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「呼吸する朗読*メンバー募集のお知らせ*」
※経験、年齢不問 若干(2〜3)名募集

 ぼくたち「呼吸する朗読」グループは、昨年活動を開始し、宮沢賢治の作品の朗読をしてきました。「今そこにあるからだと声からあらわれる、その人らしい表現を大事にしながら活動をしてきました。昨年、9月の成果発表の舞台に出て、活動としては一区切りをつけたのですが、この度、(継続して)表現教育家の岩橋由莉さんのご協力を得て、再始動することを決意しました。
 二月から稽古を始めていきますが、それに関わり、一緒に朗読を楽しむメンバーを募集します。特に条件はありませんが、月に一度程度の稽古には定期的に参加してくださる方を優先したいと思います。稽古場所は、大阪、京都市内、いずれかで考えています。夏頃には成果発表の舞台に出ます。

 

<当面の活動予定>
2月24日(日)午後 西成
3月21日(祝)

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

ご興味のある方はまずわたしにメールをください
そのあと主催のこいちゃんにつなげます
haraiso887[@]gmail.com 
(@マークの前後のカッコをはずしてください)
ここで大切にしていたことの一つは
「聴く」を育てること
相手の存在・声
自分の声
「聴く」ことの質を上げない限りは発することも変化はしません
自分なりのアンテナを育てること
なのでたくさん話してもらい、たくさん聴きます

JUGEMテーマ:朗読・リーディング


野性と朗読 @中目黒

 

いよいよ残すところあと3回ですが

単発参加OKなんです
積み上げていく稽古ではなく
その場で起こること人どれだけ柔軟でいられるか
そんなことをやってます

JUGEMテーマ:朗読・リーディング

 

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野性と朗読
   〜とり戻す声と表現、体験から上演まで〜

声で自分の野性を取り戻す 
あなたの中に眠っているものをあなたの声で取り戻す
作品の音読を繰り返すことで自分の枠を突きぬけていく
ゴールを決めずに、やがて自分の確信へと近づいてゆく

ドラマ(体感)とシアター(上演)を行きつ戻りつ、

朗読劇の上演プロセスを通して何度も繰り返し時間を重ねていきます


【日時】
9月22日(土)13時〜17時  10月7日(日)13時〜17時
11月15日(木)18時〜21時   12月14日(金)18時〜21時 

2019年1月27日(日)13時〜17時  3月2日(土)13時〜17時
Д潺鉾表会 3月31日(日)13時〜17時[本番14時〜]

【参加費】
 ´↓キΝ 各6千円 、 各5千円 全回通し割引3万5千円
 Г糧表会観客の方は無料です

 *単発参加可能です。
 *発表会に出る方は本番含め4回以上はご出席ください(Δ鷲須)

【お申し込み】 
メールにてお名前、ご連絡先、参加動機をお書き添えの上 

haraiso887@gmail.com 岩橋まで

*参加者の方のお子さん(乳児)が参加される場合があります。

赤ちゃんの呼吸、動き、声などをモデルに野性を学びます


【場所】
 株式会社プレイバック・シアター研究所 中目黒サロン&オフィス
 [目黒区青葉台1-6-53 青葉台マンションA-2F]



【講師プロフィール】岩橋由莉(いわはしゆり) 
表現教育家。和歌山在住。演劇的手法を用いてコミュニケーションを体験学習する

表現教育と出会い、日本で初めて「表現教育家」として手探りの道を歩み始める。

2001年から郷里の和歌山に住み、山や自然と共に育て暮らす人と出会ったことから、

手法を超えて「待つ」「聴く」「音」「感覚」などに特化した独自の活動

「コミュニケーション・アーツ」として展開する。
現在立命館大学にて教職を学ぶ生徒を対象にしたドラマ教育授業の実践研究、

高齢者の朗読劇指導、日雇い労働の街での表現活動など活動は多岐にわたる。


今年もABEをやっていきます!

JUGEMテーマ:アート・デザイン

 

久しぶりにオーハシヨースケさん、羽地朝和さん、そして岩橋の3人で担当します

今回のテーマは「仕事の中で・組織の中で自分を生きる」です

 

自分を生きる
ってなんだろう?

 

だれしもが人が交わる社会の中で生きている
あるときは自分を黙らせたり
あるときは戦ってみたり
そうして自分を生かそうとしている

 

でも、どうやっても
そうでしかない自分がある


筆跡が変えられないように
声が変えられないように

もちろん字を綺麗に書くことはできる
声も上手に出すことはできるかもしれない
でも、どんなに上手に取り繕っても滲み出てしまうものがある

 

アートはそれがあきらかになる
なってしまうのだ

アートの現場は人はそれぞれである、ということがまず大前提だ
一緒でなくてもよいのです


そしてそれぞれであるということは、自分一人ではわからない
それぞれの色を持った人が集まるからこそそれぞれだということがわかるのだ

 

自分を生きる
とは、たぶん人と交わることでしか見ることができない
そうでしかあれない自分を
引き受けることなのだろうな

と思う

 

そしてそれはゆっくりでいいんだ
急ぐ必要はない

 

今自分の置かれた環境でうっすら見えてくるものに
目を凝らし
耳を澄ます
ただそれだけなのだろうと思う

 

だけどね、それを楽しくやれるところがあるの
いいとししたおとながプレイフルに、むきになって、大笑いする
場所
そのひとつがここです

ABE研究会【←文字をクリックしてください】
今年も始動します!

2019年 今年もよろしくお願いいたします

いつのまにやらすっかりあけていました

今年もどうぞよろしくお願いいたします!
ここ数年私の周りで大切な方が次々と亡くなり
年末には親しくしていた伯母も急にいってしまいました
明日が来る
ことが当たり前でなくなる日が誰でも必ず来るのですよね
そんなことを考えながら
最近は掃除にはまっています
見ないようにしてきた段ボールや箱、引き出しの整理を1つずつ
いるもの、いらないものに分けて、箱をきれいに拭いて
そうやっていくと本当に自分の心の中まで掃除している気持ちになるから不思議です
私は昔から消えてなくなりたい
という想いをずっと持ち続けていました
そんなことを思ってはいけない、そんなふうにずっと思っていたのですが
それももういいかもしれないと思っています
いついってもいいように準備をしておこう
そう思って整理をしていくと不思議に心が軽くなります
時間をかけて自分と向き合っているような感じです
今さら掃除?!
ほんと、今更なんです
そんなとほほな私ですが
今年もよろしくお願いいたします

 


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