イギリス旅行

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イギリスに2週間ほど行ってきました

初めての国なのでゆっくりゆっくり噛みしめるように歩きました
世紀をわたる遺跡や建物
そこで暮らす人々に少し触れながら旅をしました

 

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ロンドン、バース、ソウルズベリー、ボーンマス、そしてロンドンへ

それぞれの場所で思わず立ち止まってしまうような場所に巡りあえたりして
本当に楽しい日々でした
ストーンヘンジにも行きました
何十年もの間、ずっと行きたかった場所でした
風が強くて雨も時々降ってきましたがついた途端に虹が出ました
ソウルズベリー大聖堂でもゆっくりしました
ジェラシックコーストという地層がむき出しで
化石もたくさん出てくる場所にも行きました
最後はロンドンの大英博物館へ
そこでエジプトのコーナーで釘付けになり
何時間も見て回りました

 

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建物であれ、彫刻であれ

人の想いの入ったものには魂が宿りますね
言葉や文化が違っても
エネルギーを感じることができるんだなと
実感できる日々でもありました
帰ってきてから即、お味噌汁を作ってゴクゴク飲みました!
豆腐も食べました
イギリスのご飯は案外美味しくて
いろんなものを楽しくいただきましたが
日本食がやっぱり落ち着きます!
よいリフレッシュができました!

「表現・朗読に関する言葉」

表現・朗読に関して書いた自分の文章をまとめてみた

なんかさ、自分の出した雰囲気に酔ってるところもあるけど
自分の言葉にはっとしたりしみじみしたりしてます

ここからこの数年間自分が表現や朗読で大切にしてきたことを抽出して
わたしは何をしてるのかわたし自身が読み解きたいから

ながいよ

 

 

「ここで何をするのか
私は何がしたいのか
少し考えてみました
*その声はどこから来るのか?
身体と密接なつながりのある声、身体を振動させて、その人にしかない声を聴いてみたい
いつも思っているのはそこです
なのでまず声を聞かせていただいてアプローチ考えます
*文章のリズム、テンポ、声の大きさ、間を考える
これは読み手と文章によるのでなんとも言えないのですが
あまり文章の意味を考えずに何度も何度も声に出す場合と
じっくりと黙読した上で声に出したほうがいい場合があると思っています
それはその人の質かもしれないし、その文章が持っている質かもしれません
*自分の思っている世界を探求する・壊す
ご自身の持つ世界をしっかりと体現してもらいたいと同時にそれをしっかりと壊せる勇気があるか
少し怖いことかもしれないのですが
しっかりとした文章があれば、それを目印にいくらでも冒険できる
そんな風に思っています」

 

「やりたいのは文字を身体に通すことによって
声帯を使って周りに振動させることによって
自分の行ったことのないところへといつのまにかきている
そんな瞬間があればいいなと思っています

経験、未経験は問いません
そんなことに興味のある方と
そんな時間が持ちたいなと思います」

 

「作者や登場人物の気持ちを想像する前に
まずは、立ち位置、呼吸、声の大きさ、スピードなどを変化させること
そこから起こる心情の変化を朗読に反映させていきます
何が起こるかわからない「ためす朗読」
やってみる、ふりかえってみる
やってみる、ふりかえってみる
の繰り返しの後に、見えてくるものはそれぞれの経験値でしかありません
その繰り返しを反復することが
その人自身の直感力、美的感覚を養うことになるであろう
と信じています」

 

「当たり前ですが、自分の声は一生聴けません。それでも我々は人に向かって懸命に発信し続けます。
表現は、表情、動作など様々な要素で成り立ちますが、
ここでは、「自分の声を出すこと」一点に絞ってみたいと思います。
人は生活の中でその時の状況、心情に応じて様々な声を出します。
隠しごとがあれば隠しているという声を出しますし、
嬉しければ嬉しいという声が出ます。
声は表現の中で一番正直だな、というのが今の所の私の感想です。
朗読で声を聴いていると、声が噓っぽく聞こえる時があります。
どんなに上手に読めていても、です。
反対にどんな突拍子も無い話をしていても、
その声にリアルを感じれば信じます。
リアルな声とは、こうしようというその人の意図を挟めない声です。
身体と深く繋がったそのままの声が出てくると、
聴いてしまった我々はその声が
どんな細く小さな声であっても、
どんなにしどろもどろになっても
読みの上手下手に関係なく魅了されます。
今回は、身体と繋がろうとする「自分の声」をたよりに、素材をその都度変えてやってみます。
自分の声をたよりにとぼとぼと歩いていくような時間を作りたいです。」

 

「「そんな記憶が今も自分を支配しているなら、今、声を出そう、今、やれなかったことをやってみよう。
その瞬間に初めて本当の自分を自らで取り戻せるのではないだろうか。
それには人の力が必要だ。
アートの場の力で他者の手のぬくもりや感覚を借りてみよう、信じてみよう。
そして同じく他者にも自分の力を貸してみよう。詳しく事情を知らない他者だからこそ言えることできることがあるはずだ。」

 

「自分から出したことばは自分が紡ぎ出したものが全てではない
何処かの誰かが言ったことばや社会的に暗に容認されていることばには
不用意な力を持つことがあるし
一方自分から湧いてきたことばはまことに心もとない時が多々ある
だから力が出ることばをもっと出したいと感じたり
あやふやなことばをやめたいと思ったりする
そんなことはどうでもよくて
今浮かぶことばに身を任せたいと思うことがある
できればみじかな人にもそうであって欲しいなと思う
そんな時間を持ちたいなと思う
そんな時間を過ごした声は
はじめよりもいくぶんおだやかになる
ピンとはったような声が少し沈むような声になる」

 

「声で自分の野性を取り戻す 
あなたの中に眠っているものをあなたの声で取り戻す
作品の音読を繰り返すことで自分の枠を突きぬけていく
ゴールを決めずに、やがて自分の確信へと近づいてゆく」

 

「声を出すこと
感情を入れずにただ読むこと
感情を汲み取って読むこと
役割を外した声を意識すること
そんなことが今のところのキーワードです」

 

「ここで目指すものは演技ではありません。
どれだけその人の声に出逢ってもらえるか、その1点だけに絞ってこの日を迎えました。
どうかこの声を一生懸命聴こうとしないでください。
半分ぼんやりと、なんなら眠って聴いてください。
たぶん言葉の意味はあまりありません。
意味を探そうとせずにしていると、自分の拾いたい音だけが入ってきます。
たぶん、それでいいのだと思います。
そしてそれは一瞬で終わってしまいます。
そんな一瞬のような時をみなさんと過ごしたい、そんな時間になったらいいなと思っています。」

 

「ここ数年は朗読や声についての仕事がたくさん増えてきました。
よく朗読の何を聴いているのですか、どんなふうに聴いたらいいですか、
と聞かれるのですが、それについてはうまく答えられずにいます。
あえて言うなら何を、とあまり意識せずにぼんやりとして聴く、
としか答えられないのです。
そうするとその人となりがぼうっと浮かび上がってきます。
その浮かび上がって見えたもの、感じたものを少し丁寧に拾い上げていくと、
「その人の声を聴く場」が徐々に形成されていきます。
すると自然に身体や声や意識が変化し始めていきます。
この変化は老若男女どんな現場でも起こります。
それは声を聴いている場がそういった変化を起こさせているのだと思います。
今回ABE研究会でやりたいことは、これをしたからこれが得られるといった効果ではなく、
創造的直感のような状態になること自体を体験することです。
そしてそこから得られるものは人それぞれであることをちゃんと保証すること、
とまるで偶然にように集まった当日の参加者の方達とその日だけの特別な縁をつくること、です。
そのことで、日常の世界では沈黙をしているまだうまく言葉にできないもの、
目には見えないもが存在する境界に恐る恐る近づいていくことができるのではないだろうか、
と思っています。
その状態を「アート」と仮定してみます。
そうしたら、目に見えるものだけを信じてしくみをつくった今の社会におけるアート(行為的直感力)の役割が見えてこないかな、そうなればいいな、そんな仮説もしています。
この日も自分のすぐ近くの身の回りに起こっていることや一見なんの関係もない社会の出来事を
身体や声を通して行います。そしてそこから出てきたものを
みなさんとそれぞれ持ち寄って眺める場を作ります。
表現教育の中でLearning by doing とLearning by being の学びの違いについて学んだことを
最近よく思い出します。
直訳すると前者は(なにをしたか)することによる学びと
後者は(そうである)存在することによる学びと言えるでしょうか。
場においてdoingでは何をするか、したかという言語化ができるのですが、
beingは何を指すのか私にはいまだによくわかっていないところがあります。
ただ、今思うのはファシリテーターとして前に立つ私の存在がどう在ったか、
が与える影響は場において無視できません。
自分が意識しない分、より多くのものを参加者は受け取るのだと思います。
感性や直観力を育てるとはこのdoingとbeingの積み重なりではないでしょうか。」

 

「やることは実験的に精力的にいきます!!!
朗読、という一見決められたテキストをどう即興的にいくか
それには動き、リズム、自分と他者の間をゆらしていくことからだと考えています
発信と受信のバランスを変えてしまうこと
意味朗読ではなく直感朗読にすること
そんなことをやります」

 

「自分を生きるってなんだろう?
だれしもが人が交わる社会の中で生きている
あるときは自分を黙らせたり
あるときは戦ってみたり
そうして自分を生かそうとしている
でも、どうやっても、そうでしかない自分がある
筆跡が変えられないように
声が変えられないように
もちろん字を綺麗に書くことはできる
声も上手に出すことはできるかもしれない
でも、どんなに上手に取り繕っても滲み出てしまうものがある
アートはそれがあきらかになる
なってしまうのだ
アートの現場はでは人はみなそれぞれである、ということがまず大前提だ
一緒でなくてもよいのです
そしてそれぞれであるということは、自分一人ではわからない
それぞれの色を持った人が集まるからこそそれぞれだということがわかるのだ
自分を生きる
とは、たぶん人と交わることでしか見ることができない
そうでしかあれない自分を引き受けることなのだろうな、と思う
そしてそれはゆっくりでいいんだ
急ぐ必要はない
今自分の置かれた環境でうっすら見えてくるものに
目を凝らし
耳を澄ます
ただそれだけなのだろうと思う
だけどね、それを楽しくやれるところがあるの
いいとししたおとながプレイフルに、むきになって、大笑いする場所そのひとつがここです」

 

「声って本当に正直だなと思う
表現の中で声って嘘をつけない
技術的によくすることはできるけど
人が嗅ぎ分けるものはそこにはない
ちょっとした声のほころびや溢れ出たもの
そんなもので無意識に判断している
朗読という人の文章でそれをあきらかにしようとする試みなんです
だから上手下手はあまり関係ありません
その声を出す自分
そうでしか出せない声を出す
声で足元をみつめる
そんな時間です」

 

「言葉は感染る
反対になるべく削ぎ落としたものを書きたいのだな、とかも感じる
言葉は映る
言葉には伝播性や感染性があるので当然だと思う
朗読は声で言葉をうつす
瞬間的にその言葉の体にさせる
うつすような朗読の時間です」

 

「わたしの時間では表現活動をよく呼吸にたとえます
呼吸は、はく→すう→はく→すう をくり返します
吐くことが表に表すことだとすれば、
吐くための息を吸うことも必要です。
すうとは、自分の受信力です。
五感を少し開いて、耳を澄ましたり目をこらしたりしていると
普段は気に留めないものを拾っていきます
こんな音が聴こえてたんだ
こんなものあったのか
そんな受信力を少し広げて
自分の中に流れ込んでくる周囲の情報の量や層を変えてみたりする
それだけで表に出てくるものはもう変化を起こし始めます
そんな小さくて大きなところからはじめます」

 

 


2019年 今年もよろしくお願いいたします

いつのまにやらすっかりあけていました

今年もどうぞよろしくお願いいたします!
ここ数年私の周りで大切な方が次々と亡くなり
年末には親しくしていた伯母も急にいってしまいました
明日が来る
ことが当たり前でなくなる日が誰でも必ず来るのですよね
そんなことを考えながら
最近は掃除にはまっています
見ないようにしてきた段ボールや箱、引き出しの整理を1つずつ
いるもの、いらないものに分けて、箱をきれいに拭いて
そうやっていくと本当に自分の心の中まで掃除している気持ちになるから不思議です
私は昔から消えてなくなりたい
という想いをずっと持ち続けていました
そんなことを思ってはいけない、そんなふうにずっと思っていたのですが
それももういいかもしれないと思っています
いついってもいいように準備をしておこう
そう思って整理をしていくと不思議に心が軽くなります
時間をかけて自分と向き合っているような感じです
今さら掃除?!
ほんと、今更なんです
そんなとほほな私ですが
今年もよろしくお願いいたします

 


アートの効用ってなんですか?

一昨年から関東の仲間とArt Based Education[ 通称ABE]の研究会を行なっています。

世の中が目まぐるしく変化し多様化になっている中で生きるには、

新しい観点で物事を捉える柔軟性や自分なりの物の見方を育てることは不可欠であり、

それには自分にとっての美しいと感じる観点や遊び心、発想力を育てることが必要である、

すなわちアート的な観点を育てることが必須である、という考え方の元、

アートを教育活動や企業研修などでどう活用できるかを考えて実践する会です。

 

今までは私や身体表現を専門にした仲間がそのコンテンツを考えていましたが、

昨年からゲスト講師をお呼びして体験し振り返ることもやっています。

昨年仲間の一人がイギリスで行われた企業経営におけるアートの牽引力についての学会に出席した際、

ハーバード大学で企業経営のリーダーシップ養成プログラムで行われる抽象画を描く経験をして来ました。

それは「創造的破壊」がテーマで自分の創作したものを

いかに壊し続けて新しいものを生み出せるかというプロセスだったそうです。

ちなみのその学会ではアジアからは日本人である友人と大学の先生の二人だけだったそうで、

アートと企業経営を結びつける考え方は今はまだヨーロッパが主流なようです。

 

 さて、今回ABEでは昨年お呼びした抽象画を描かれている田島環さんを再びお迎えして、

抽象画を描く体験を通して学びを考える会を行いました。

水でたっぷりとぬらした紙に絵の具を垂らしてそのにじみや色の混ざりで描いていく作業です。

筆は使いません。何か特定のものをイメージして描くのとは違い、

自分ではコントロールできないものを受け入れて作業を重ねていくのです。

 

昨年は本当に楽しい活動だったのですが、今年はなぜか私はこの作業が辛くて嫌になってしまいました。

絵を描くことは本来好きなのに、どれだけやっても終わりが見えないことにいらだってしまいました。

活動終了後のふりかえりで、正直にその話をすると、田島さんは

「何にもやらなきゃよかったのよ。作業以外の時間も絵にとっては重要なのですよ」と話されました。

そこではっとしました。

普段自分の朗読や表現の場でも、何を受け取るかという受信も大切なのですよ、

やることが全てではありませんよ、と話しているのに、

他の分野になった途端終わりの見えない作業が辛くなってしまったのでした。

 

そういえば田島さんは作業中何度も私を含めたみんなに

「少し待ってください。離れて眺めてください。しばらく時間をおいてください」

と繰り返し話されていましたが、わたしの耳には入って来ませんでした。

 

この経験はとても貴重なものでした。

アートをやって何を得られるのですか、という効果についての質問が時々あります。

しかし、ひょっとしたらアート活動をすることで何を得られるかではなく、

こういった自分と向き合う時間に身を置くことそのものを経験することなのかもしれない

とあらためて思いました。

今後のABEの活動はこちらをクリックしてください

声についてのコメントをすること

JUGEMテーマ:朗読・リーディング

昨日の「呼吸する朗読」
どんどん味わい深くなってます!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

声をどう聴いているかについて話した時
参加者の男性のひとりから
ぼくにもコメントください
と言われた

そういえば、他の場所でも男性の参加者から
ぼくにも言ってください
とよく言われる
それで気がついた

女性の参加者の方には思ったことをぽんと言える気がするし
確かに言ってる
でも男性にはあまり言わない
言ってください
と言ってもらってはじめて感覚を言葉にする
だから少々フレッシュすぎて申し訳ない

でも、そこではじめて
ああ、男性にも言えるのか
言えないと思い込んでるだけかとわかる

多分これ私の偏見だ

言ってもな〜、変わらないでしょ?
と思うのだ
女性も確かに変わらない
基本人は変わらない

でも、こっちからこう感じたよ
という何かを理屈抜きで渡しておくと向こうのタイミングで
いつか熟成していく様がおもしろい

男性はというと、単に渡しただけでは何も起きない
それ渡すのに少々理屈が必要なのだ
納得する理屈があるとようやく山が少し動く
ただよしんば相手が納得しても
私がそのことに納得できない時がある

もちろんそれが必要ない男性もいるし
理屈が必要な女性もいるし
理屈を言いたくないのか、と言われたらそうでもない

これは単にそういったことが多いか、少ないか
の問題だとも思う

子どもはまた違う
学生においては男女が逆だったりもする

ぼくにもコメントください
と言ってもらわないとこんなことは起きなかったので
何が言いたいかというと
これからもそう思ったら言ってください
という公開のお願いでした

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

今後の「呼吸する朗読」は

ぃ祁遏。憩(土)午後 京都市内
ィ祁遑横夏(日)午後 京都市内
Γ厳遏。菊(日)午後 京都市内
В厳遑横尭(日)午後 京都市内
┌昂遏。夏(日)午後 京都市内
<成果発表>
9月8日(土)夕方以降
稽古は京都市内で行います

これから

 

 

私は 一体どこに向かおうとしているのか

学校教育ではないことだけは確かで

でもなぜか、教育という言葉は離すことはできない

 

何かを教えるのではなく、何かの場を作る

そこで何を得るかはその人次第で

でも、時を過ごすと私から見えてくるものは、ある

それを機会があればお伝えする

こんなふうに見えてるのだ、ということをなんとかお伝えする

まるで種をまくように

それはいらないよと言われたらさっさと私の中に引っ込める

でも種はすでにまかれたあとなのだ

 

何かを教えるのではなく、何かを創る

そこで何を作りたいか、作るのかはその人次第で

でも、時を過ごすと私から見えてくるものは、ある

それをともに創るものとしてお伝えする

こんなふうに見えるよ、となんとかお伝えする

それはいらないよと言われてもとりあえず身体に聴いてもらう

そうすると身体は答えてくれていたりする

身体ではないのか

魂という言葉を言えばいいのか

はたまた、意識できない真(しん)が応えてくれている、と言えばいいのか

身体や真が反応しない時もある

そうしたらさっさと引っ込める

 

引っ込めてはいけないと私の何かがいう

そんなにさっさと引き上げてはダメだと

 

声を出すのだ

その人の声と私の声を

そうしたら何かが混じり合う、響きあう

それはもうなかったことにはできない

 

 

 

 

JUGEMテーマ:つぶやき。


朗読で何をしているのか

先日は朗読教室の日でした。


初めての方が来られて、ここで何をしているのか、ということを改めて話すことになりました。

まず、大切にしていることは、
おしゃべりです


今、何を感じているのか、いいことでも悪いことでも
ここでちょっと話してみようかなと思うことならなんでも伺います
そうして普段のおしゃべりのお声や顔の表情、身体などを聴かせていただきます

そのあと、ちょっとしたストレッチをします
これは、主に両足がしっかりと全身を支えられるように身体に働きかけてみます

そして発声へ
無理なく声を出すことを一番に置きながらその声のトーンや
深さの違いを筋肉や顔の表情を変えることで少し味わってみます

最後のお一人ずつのテキストの朗読
こちらが用意したテキストの好きな箇所を読んでいただきます


その中で言い方のくせや声の出し方などをみさせていただきます
その際、標準語のアクセントや関西弁をあまり直しません
それよりも声に注目したいからです
アクセントや訛りに集中してしまうと、声が硬くなります
それよりも、のびのびと出していただきながら
声がどこに行きたがっているかを共に探っていくのです


その方がどうしたいかではなく、声が行きたがっているところ
それはご自身だけではちょっと難しい
なぜなら自分の声は自分では一生聞けないからです
普段出している情報のやり取りの声ではなく
なかなか人が触れることのできない真の声
そんな声に出逢いたくて朗読を行います

普段教室の方にはあまりこういう話をしません
活動の目的を言ってしまうと、それが正解になって頭でそれを目指し出すからです
なるべく無目的で、その時に起きることを共に共有していく

一人にはさせません
その声の世界に一緒にダイブしてみたいと思っているのです

そうすると私もみたことのない世界が広がって
声を頼りに二人で観れる景色は、本当に格別なものです

やがて声は一人でも平気になります

そして声自らが、みたこともない世界に足を踏み入れていくのです
時々その美しさに胸が熱くなります

今、決定している朗読の日(対象は様々ですが、基本やってみたい方ならどなたでも大丈夫です)

月曜 13時〜15時 貝塚市 山手公民館
火曜(第1・3) 13時〜15時 りんくうセントラルスポーツ
 (3ヶ月行うと3ヶ月お休みになります。今回は6月まで)
水曜日(第1・3)13時半〜15時半 熊取町 レンガ館
水曜日(第2・4)13時〜15時 和歌山市内 

月に一度 だいたい第4土曜 新今宮駅近く 朗読劇
(10月発表予定)

そのほかにも泉南市などでも木曜の午前中に始まる予定です

JUGEMテーマ:コミュニケーション

JUGEMテーマ:朗読・リーディング

JUGEMテーマ:演劇・舞台

JUGEMテーマ:地域/ローカル

 


今年の目標!

あけましておめでとうございます!

今年もよろしくお願いいたします!
今年は、やったことのないことにいろいろ挑戦する年にしたいと思います
第1弾 朗読劇ワークショップ
    西成で朗読劇のワークショップを行います
    詳しくは、「次のワークショップ」の項目に発表します
第2弾 音・聴・感 探求ゼミ 補講編
    中目黒で月に1度行っていたワークショップ
    おかげさまでたくさんの方に来ていただいて
    今月からは補講として、時間を拡大してお送りします
    よりマニアックな世界の追求をしていきます
    詳しくは「次のワークショップ」にて発表します
第3弾 プレイバック・シアター羽地朝和さんとのコラボワークショップ
    一昨年より何度かご一緒させていただいている
    株式会社プレイバック・シアター研究所の所長羽地朝和さんと5月の連休に
    秩父にてワークショップを行います!
     〜メソッドとテクニックを脱いだらファシリテーターには何が残るか?〜
      「音・聴・感とプレイバックのクロスオーバー」

    詳しくはまた後日に!

 

詳しいお問い合わせは

haraiso887@gmail.com

まで。

 

今年もよろしくお願いいたします!

 


カンボジアへ行ってきました!

カンボジアへ行ってました‼
初日はスナーダイ・クマエを訪ね、メアス博子さんにご案内していただきました!
博子さんは和歌山の海南市出身で、同じく海南市在住の岩崎順子さんと親しくされて、そのご縁で今回の旅は始まりました。
私は幸運にもそこの末席に参加させていただきました!
スナーダイ・クマエの子どもたちと博子さんが作り上げてきた場は、異文化のぶつかりと人が人として育つ万国共通な想いとが混ざりあったものだと感じました。

...

今年も、スナーダイ・クマエの子どもたちの絵を携えて、博子さんは東京、名古屋、和歌山などをまわられるそうです
またインフォメーションしますので絵を見てください
とてもエネルギッシュでステキです♪

スナーダイ・クマエのブログ
↑こちらをクリックしてください
スナーダイ・クマエのブログへ飛びます
 


ありがとうございました

文化の日に貝塚市の教育委員会から平成26年度の教育功労者として表彰していただきました。
長年、子どもたちやおばちゃんたちと朗読劇や遊びの活動をやっていたことを評価していただいたみたいです

うれしいです
ありがとうございました。

これからも、楽しい活動、していきます!
JUGEMテーマ:つぶやき。

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